~私のエスコラニア~ 美しい告別式
前回、エスコラニアの元団員友達のお母さんが癌で亡くなったことを書きました。たくさんの人に愛情を注ぎ、またたくさんの人に愛されていた素晴らしい女性でした。
コロナでなければ告別式に参列したかったです。ですが先日、告別式の様子を知らせてくれました。いかにお母さんの告別式が特別だったかが綴ってありました。
エスコラニアの彼の友達が始めにピアノで弾き語りをし、棺桶に入ったお母さんが会場に入ってきました。そして何人かの人がお母さんについて、どれほど彼女を愛していたか、またどれだけたくさんの人に彼女が愛されていたかを話しました。式には少しの瞑想も含まれていました。最後はモンセラートで歌われる「ビロライ」をみんなで歌い告別式が終了しました。
文章を読んでいるとその様子が目に浮かびます。
と思っていたらその後、告別式の動画が送られてきました。便利な時代になりました。コロナでたくさんの人を告別式に収容できないので、動画はみんなでシェア出来ていいかも。個人的なものなのでここでは動画は流しませんがその様子を語りたいと思います。
スペインでも日本のように葬儀が行われるセレモニー会場がありそこで行われました。友達のお父さんは健在ですが、彼が率先して行動してる様子が動画を見て感じました。会場の係員や参列者に気を使って行動している姿が映っていました。今思えば彼はエスコラニア時代から面倒見が良かったです。私を退屈させないために、行く前からいろんな企画を考えてくれたり、いろんなところに連れて行ってくれたり。だからエスコラニアで譜面台係りに選ばれたんだな、と昔のことを思いました。あの係り、地味に見えますがいろんな事に気を使わないと出来ない仕事です。
式の始めに私も仲良くしてもらっている彼のエスコラニアの大親友がレオナード・コーエンの「ハレルヤ」を弾き語りをしました。その彼も5年前にお母さんを癌で亡くしました。彼の弾くピアノの響きはとてもやさしく、でも歌声は力強く心がこもっていました。その後、神父さんのお祈りがあり、そしていろいろな人がお母さんについて語りました。言葉はわかりませんが気持ちが伝わってきました。
最後は「ビロライ」をみんなで歌いました。エスコラニアの歌声が聞こえていました。その合唱とともにお母さんが退場し、後ろに親族が続きます。動画でそのお母さんが退場する扉の向こうが太陽に照らされてかすごく明るくて、お母さんは生きていた時と同様に明るい場所に行かれたんだな、と想像させられました。動画の最後にエスコラニアのビデオが流されました。お母さんの亡くなった時間、場所、年齢などが最後に表示されました。
とても美しい告別式でした。お母さんが特別な女性であったように告別式も特別でした。
告別式にもエスコラニアが関係していて、人生ずっとエスコラニア愛に溢れているな、と動画を見て改めて感じました。
Escolania de Montserrat Virolai モンセラ修道院聖歌隊
告別式の最後に歌われたビロライ
お母さんは遠く離れた私のことも気遣ってくれて優しい言葉をかけてくれていました。彼からも「母は君から何か聞けることをいつも楽しみにしている」と言われていました。亡くなった後、彼にお母さんへの思いを伝えた時も「君から何か聞けたこと、いつものようにきっと嬉しく思っているよ」と言ってくれました。
本当に温かい家族で私の「カタルーニャの家族」のような存在です。地震や震災の度に心配してくれてメールや手紙を書いてくれました。ドイツに手紙を書いてくれた時は、私がちょうど引っ越しをしていた頃だったからか手紙が帰ってしまったらしく、手紙の内容をわざわざメールで送ってくれました。すごく愛されているな、と感じることができます。親戚の方々も紹介してもらい、皆さんと今も連絡が続いています。こんな家族に出会えて本当に幸せです。日本で彼に出会わなければこんな素敵な家族に出会うこともありませんでした。彼に出会えて本当に良かった。彼には幸せになってもらいたいです。そして家族の皆さんにも。
マルクや家族と初めてモンセラートに行った日に撮った写真だったかな。後ろは修道院。映っているのは当時4年目と2年目の子たち。ありがたいことにここに映っているほとんどの子たちと今もコンタクトが続いています。一人は20代の時に日本に来てくれました。
何年も、そしてコロナの前も時間はたくさんあったのにどうして会いに行かなかったのだろう、と今も思いに耽ることがあります。
思いついたことはすぐに言葉にしたり、行動にうつしたりすることは実はとても大切な事ですね。
コロナの後、カタルーニャに行ってお母さんのお墓参りをしたいです。
読んでいただいてありがとうございます。