nene

ドイツ生活

デュッセルドルフの天使

私の9ユーロチケットの旅はまだまだ続きます。

今回はウクライナ人の友人を訪ねてデュッセルドルフに行きました。

ウクライナキエフから避難してきた母親のタチアナと息子のリュボ。

 

9ユーロチケットを使ったのは復路だけ。

往路は初めてフリックストレインを使ってみました。

悪くなかったです。数分の遅延で済ました。

 

デュッセルドルフの駅、とんでもなかった。すごい人、人、人。

こんな中でウクライナ人の二人を探すのは無理!ワォーリーを探すよりムズい!

着いたらさっそくリュボが、今dm前にいるよ~、ネームボード持って立ってるよ~、とメッセージくれました。

プラットフォームにまだいた私はdmってことは下かーと思いながら人をかき分けながらウロウロ。

その後すぐに電話をしてくれて「dmの前だよ、僕たちが分かるかな」。

彼は他にも何か言ってるけど周りの人の声と雑音でかき消されて何言ってるのか分からない。とりあえず電話を切る。そしたらネームボード持ってる自分の姿の写メを送ってきてくれた(笑)

私は人でぎゅうぎゅうのプラットフォームから下に降りる。

でも私、dmがどこにあるんか分からん。たまたま目についたマクドナルド前にいるよ~とメッセージするとマクドナルドまで来てくれると。

マクドナルドに来た、とメッセージが。

しかしすごい人で二人がどこにいるんか分からん。

これ、ベルリンの駅より酷いよ。

見渡すと何故か二人の後ろ姿であれだ!と確信しました。ネームボードを持って待ってくれてたけど後ろからは見えなかった😅

 

なにわともあれ無事会えました👌✨

 

ほっ。

 

そしたら思いかけずウクライナからわざわざ持ってきたというプレゼントを頂いてしまいました😮 そしてウクライナのシンボルひまわりも!

民族衣装って素敵なんですよね。

こんなに大きいのウクライナからの荷物に場所を取っただろうに。

 

最近めちゃくちゃ暑くてこの週末もデュッセルドルフは33度越えでこのひまわりのように太陽がガンガンと輝いていました🌞🌞🌞🌞

 

まずは彼らが先週から住み始めたモーテルへ移動。

私も同じモーテルを予約しました。

そのほうが時間を無駄にせずにすみますからね。結果的に同じモーテルにしてめちゃくちゃ良かったです。

 

17時からチェックインなのでそれまで荷物をリュボ達の部屋に置かせてもらって、書類の確認をしていきます。

今回来たのは主にそのためですからね。

 

ここで彼らがデュッセルドルフに来るまでの経緯を説明します。

私が3月4月に帰国中、リュボたちは日本に避難することも考えていたことがあり色々調べましたが保証人とやらが必要で色々ややこしいことが判明しました。

かなりたくさんの書類提出、確認が必要で避難民、保証人とも来る前から疲れ果ててしまいそうなくらいのややこしさだな、と感じました。

それに加えて遠い日本に行ったものの思うような待遇でなかったり、問題が起こっても簡単にはウクライナに帰れません。

私の友人の知り合いの方が保証人となりもうすぐ日本に行くとこまで行っていましたが考えた挙句、日本に行くのは覚悟が大きすぎるとの事で達成されませんでした。

保証人になることを受け入れた友人の知り合いの方の努力には脱帽です。

かなり大変だったはず。

 

その分EU内は保証人など要らずただ行けばいいだけ。

ウクライナからも日本ほど離れていません。

彼らは戦争が始まった当初はキエフの自宅にいてそれは不安な生活を強いられていました。

時々、自宅から外の景色や拍発音の音などの写メを送ってくれていました。

その後、お姉さん、2歳の甥っ子も一緒に4人でウクライナの各地を転々と移動していった後、戦争が始まる数年前にすでに避難した親戚がいるイタリアに飛びました。

ミラノの親戚宅は小さく居候は出来ず、自分たちのためのホテルをロゼットという町に見つけます。

生活に必要な物資をもらえたそうですが金銭的な支援は一切なく、段々持ち金がなくなってきました。

それでドイツのことを色々聞いてくるようになり、主人と色々調べたり、会社帰りにウクライナ人の最初の駅となるテーゲル空港に直接行ってどんなことしてるのか調査に行ったりある程度の情報収集しました。

 

しかし住居が最大の難関です。5月はドイツにウクライナ人がすでに多く来ており、ベルリンは避難民の部屋はもうなく、どこか別の地域へ送られます。

でもその別の地域ももうなくなってきていました。

なんせドイツではドイツ人でも新たに住居を見つけることはかなーーーり困難です。

 

部屋提供の手伝いをするボランティアの存在を知りリュボにそのことを伝えるとそこから他のボランティア団体も見つけて自分でいろんなところに連絡を取っていたようです。

それでairbnbの提供するデュッセルドルフのホテルに30日間無料滞在できる権利を取得!!

やった!

 

イタリアに1か月いたのちドイツに避難することになりました。

お姉さんと2歳の甥っ子はポーランドに避難、タチアナとリュボはドイツに避難することになりました。

 

ロゼットから飛行機でドイツのヴェーツェ空港という辺鄙な空港に到着。

LCCなのでそうなったようですが、このヴェーツェ空港からデュッセルドルフまで遠っ!

その時の様子を写メしてくれました。

凄く疲れた顔の2人。大丈夫かな。

バスを4回くらい乗り継いでくたくたになってやっとデュッセルドルフに着いてもうすでにホテルにいると連絡が着ました。

私も安心しました。